私は母から感染した二次感染者と認められました。母が先に一次感染者として和解できたので、私も二次感染者として手続きをお願いした結果です。さらに私の息子も、出産時に感染予防の注射をしたのですが感染してしまっていたので、三次感染者として手続きをお願いし、国と和解することができました。親子三代大変な思いをしてまいりましたが、おかげさまで皆が給付金を受け取ることができました。
専門病院での診断や、弁護士による発症時期の特定などにより、適正な給付金支給が可能になります。
私は母から感染した二次感染者と認められました。母が先に一次感染者として和解できたので、私も二次感染者として手続きをお願いした結果です。さらに私の息子も、出産時に感染予防の注射をしたのですが感染してしまっていたので、三次感染者として手続きをお願いし、国と和解することができました。親子三代大変な思いをしてまいりましたが、おかげさまで皆が給付金を受け取ることができました。
母が一次感染者、きょうだいが二次感染者と認められ、給付金を受け取ったと聞いたので、私も手続きをしようと思い相談しました。きょうだいの資料が一部使えましたし、必要なカルテの取り寄せはみおの弁護士さんや担当スタッフさんが丁寧に説明してくださったので、問題なく集めることができました。国の審査には時間がかかりましたが、問題なく和解することができました。
息子の病気が心配で何かできることはないかと調べていたところ、B型肝炎給付金請求のことを知りました。みおさんに電話して、息子に資料を送って欲しいとお願いしたところ快く送ってくださいました。息子に話したところ手続きをお願いしたいとのことでした。その後は、弁護士さんと息子との間でやり取り等をしていたようです。先日、無事に和解できたと息子から聞き、おせっかいと思いながらも電話してよかったと思いました。
私が感染していたために、子ども達や孫まで感染してしまいました。私が手続きをして国と和解できると子ども達も救済される可能性が高いことが分かり、みおさんに手続きをお願いしました。担当スタッフさんのサポートのおかげで資料を集めることもでき、無事に和解することができました。引き続き、二次感染者の子ども達や孫達の手続きをお願いしているところです。
ずっとキャリアだと思っていました。みおに相談したら、弁護士の先生が血液検査を見て、慢性肝炎で申立をすることになりました。その後体調が悪化し、大きな病院に転院したところ肝硬変との診断書を書いてくださいましたので、肝硬変での申立に変更することになりました。書類を集めるのに苦労しましたが、事務所の方が丁寧に説明してくださったり、代わりに書類の取り寄せをしてくださり、何とか和解することができました。相談したことで、適切な病院に受診することもできたし、思った以上の給付金を受け取ることができて本当に良かったです。
通院先の病院が肝疾患専門病院ではなく、今回の裁判を機に、肝疾患専門病院へ転院しました。
腹部超音波検査により肝硬変の所見があり、肝疾患専門病院で肝硬変の診断が確定したことから、軽度の肝硬変として国と和解が成立し、無事給付金を手にすることができました。
昭和60年頃から治療を受けていた慢性肝炎が、肝硬変に進行しました。
ところが、肝硬変に進行した時期が不明確になっていました。
給付金請求の手続きを進めるにあたって、肝硬変の発症後、20年が経過しているかどうかが問題になりました。
弁護士さんにカルテの精査を依頼したところ、発症時期を特定することができ、発症後20年未満として和解が成立しました。
(ご家族のお声)母はすでに死亡し、年長のきょうだいはいませんでしたが、母(当時58歳)の生前の血液検査が残っており、HBs抗原は陰性だが、HBc抗体が陽性でした。
弁護士さんが「HBc抗体が高力価陽性であったことを示す証拠はない」と主張されて、和解が成立しました。