息子がみおさんに問合せをしました。息子は私からの母子感染でした。弁護士さんが、私を一次感染者、息子を二次感染者として同時に手続きを進めてくださいました。手続きの途中で息子は亡くなってしまったのですが、私が相続人として引継ぎ、2人分の手続きを継続することができました。病気のせいで辛い思いを沢山しましたが、みおの弁護士さんや担当スタッフさんが常に寄り添ってくださり、みおに相談してよかったと思いました。
ご遺族からの依頼や、ご遺族が手続きを引き継ぐことも可能です。直接の死因がB型肝炎でなくても、給付金が支給される可能性もあります。
息子がみおさんに問合せをしました。息子は私からの母子感染でした。弁護士さんが、私を一次感染者、息子を二次感染者として同時に手続きを進めてくださいました。手続きの途中で息子は亡くなってしまったのですが、私が相続人として引継ぎ、2人分の手続きを継続することができました。病気のせいで辛い思いを沢山しましたが、みおの弁護士さんや担当スタッフさんが常に寄り添ってくださり、みおに相談してよかったと思いました。
亡父の件で相談しました。父は生前に別の事務所に相談していたのですが、なぜか途中で諦めたようでした。気になって、インターネットで見つけたみおさんに電話したところ、弁護士さんが話を聞いてくださり、残っている資料を見せるようにと言ってくださいました。資料をお送りしたところ、請求できる可能性があるのでやってみましょうとご連絡をいただきました。不足しているカルテなどを集めて訴訟していただき、和解することができました。諦めずに相談して良かったです。
亡妻について相談しました。裁判所に申立後、カルテの中身について国から追加の説明を求められました。記憶の限りで弁護士さんに当時の状況をお伝えしたところ、カルテの中身と私の話を精査してくださり、再度、国に対して詳細な報告書を作成してくださいました。おかげさまで何とか和解することができて良かったです。
亡くなった夫の給付金の件で相談しました。弁護士さんが説明してくださったおかげで、義母の協力も得ることができ、特に大きな問題もなく和解することができました。同じくB型肝炎ウイルスが原因で亡くなった亡夫の弟のこともお願いすることになりました。相談するか迷いましたが、思い切って電話して良かったです。
肝がんで亡くなった父の件で相談しました。検査結果は1つしか残っていなかったのですが、みおの弁護士さんが、カルテの記載等からB型肝炎ウイルスによる肝がんであると主張してくださいました。特に国から資料の追加を言われることもなく、無事和解することができました。
“LINEで問合せをしたところ、すぐに弁護士の先生から返信がありました。その後は、状況に応じて電話やLINEで相談することができとても助かりました。
母子感染ではないことの証明が必要でしたが、母と兄は既に死亡しており、姉とは不仲でしたので協力を得られませんでした。しかし弁護士の先生が、母と兄の残っていた血液検査結果を提出して母子感染ではないことを主張してくださり、和解することができました。”
亡父の件で相談しました。父は大変な病院嫌いだったため、亡くなる直前まで病院に行っておらず、死亡前1ヶ月分のカルテしかありませんでした。提出すべき血液検査の結果も、全てをそろえることができませんでした。しかし、みおの弁護士さんが少ない資料を精査して、B型肝炎による肝がんであるとの報告書を作成し提出くださったおかげで、和解に至ることができました。
20年以上前に亡くなった父の件で相談しました。病院にカルテが残っていなかったため、他の事務所数件に問い合わせましたが、どこも手続きは難しいとの回答でした。そんな中、みおの弁護士さんだけがやってみましょうと言ってくださり、カルテに代わる書類がないか検討してくださいました。アドバイスに従って書類を収集し、申立をしてもらった結果、無事に和解することができました。
亡母の手続きを相談しました。私はアメリカに住んでおり、主にLINEやメールで弁護士さんや事務の方とやり取りをしました。一時帰国した際や、日本にいる親族の協力を得て、必要な資料を収集しました。母子感染ではないことを証明するための資料がなかったのですが、それに代わる資料についてご指示いただき、無事に和解することができました。海外に住んでいても特に問題なく手続きができました。
死亡から15年経つ母の件で相談しました。直接の死因が別の病気であり、B型肝炎ウイルスによる肝がん発症からは19年経過していました。発症から20年経過すると給付金が大幅に減額されると聞き、みおの弁護士さんからのアドバイスでまずは収集できる資料だけ急いで集め、弁護士さんが見切り発車で申立をしてくださいました。その後、残りの必要な資料を収集したのですが、コロナ禍で、施設にいる亡母の兄の検査を実施してもらうのに時間がかかったり、亡母の転居が多く卒業した小学校がなかなか判明しなかったりして、時間を要しましたが、先生の的確な判断で、20年経過前に申立をすることができ、肝がんで和解に至りました。